男と女

ネットでのお付き合いが増えてくると、相手の性別が気になってくる。
ネット上では、リアルなお付き合いとは違って、演じようと思えば男にも女にも為れる。
しかし、違う性を演じようとした場合、感覚上の不満を圧殺しなければならない。
 
R氏は、女性的な感情や感覚が表現上に強く表れて、とにかく「カワイイ」んだが、カワイイ表現に自己嫌悪しているようで、最近「梟」している。
 
彼女とは対局の二人のD氏は(二人とも女性なんだが)女社会のズルズルべったりの席取り競争から派生した男性的な表現で、私自身すっかり欺されて絶対に男だと思い込んでいたのだが、本人が女だと言うんだから、たぶん女なんだろう。
 
ネットでのオープンな世界では性別を意識しない方が楽なんだが、相手の人格には必ず性別が含まれるので、意識しないでいると拙い。
とは言っても、わざわざ男になりきって書き込みするし、冗談で女言葉を使う奴もいる。
 
何で、そこまで性別に拘るかというと、それが相手を認める事の必要不可欠な一部だからだ。
男と女では環境が違う。
コミュニケーションの第一歩は相手を正しく認識する事だが、実体情報無しでは難しい部分が多いのだ。
 
私たちは現実世界で面と向かって人と対峙する。
相手がワザと情報を秘匿しても、全体から正しい情報を読み取る。
しかし、ネット上では相手の視覚情報や嗅覚、聴覚の情報等は無い。
 
言葉によって対峙し、意識と意識を触れ合わせる時、性別は予想外のサイドアタックで私をたじろがせる。
性差別ではなく、相手に不満を抱かせないための礼儀として性別を意識する社会的な習慣が存在する以上、性別を無視して会話を行うのは社会的な常識から逸脱してしまうのだ。