携帯電話による情報中毒

一昨日の子供の携帯電話の利用に関する調査速報が文部科学省から発表された。
結果は予想以上。
子供の携帯電話による情報中毒は激しさを増しつつある。
http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/21/02/1246177.htm

 
私が携帯電話の害に気付いたのは二十年以上前になる。
その頃は未だ持たない人も多かった。
その頃、携帯を持っている外回りの営業マンの言動に不自然なものを感じたのが最初だった。
 
彼らはいつも落ち着きがなかった。
常に何かを気にしていた。
それは何かというと携帯電話だった。
 
携帯を持つということは常に呼び出される環境にあるということだ。
彼らは嬉々として呼び出しに応じ、着信がないと何かしら理由を付けて発信していた。
そう、携帯電話による情報中毒に罹っていたのだ。
 
彼らは早く話し、中身は薄かった。
良く考えてから話すのではなく、繋ぐのが上手かった。
そして、自分が所属するコミュニティーを何か特別の世界と勘違いしているようだった。
他人と話している最中でも平気で呼び出しに応じるし、対面で話している最中に携帯を取り出し電話を掛ける。
一人になってから掛けるのでは不安なのだろう。
 
それが当たり前のマナーだと思っている。
そうしなければ電話の向こうの相手が不快に思うから・・・というのもあるだろう。
この所構わぬ「携帯の庭」は人を縛る鎖だということに気付いていない。
 
最近ではマナーが問題視されるようになってそれほど目立つ事はなくなったが、基本的には同じだ。
携帯電話を持つ限り情報中毒になる事を免れない。
 
昨日爆弾を製作していた高校生が逮捕されたが、
http://www.nikkei.co.jp/news/past/honbun.cfm?i=STXKE0645%2026022009&g=K1&d=20090226
この事件にも携帯電話が絡んでいる。
彼は携帯の庭で不遇を被り、追い詰められて復讐を志したのだ。
 
携帯の裏サイトは後を絶たないし、イジメも珍しくない。
プライバシーを蚕食する携帯は持つ者の精神を変質させてしまう。
 
携帯電話は実に女性好みのツールだ。
始終誰かと繋がっていたい、ズルズルべったりの習性には無くてはならないツールと写るのだろう。
亭主や彼氏に鈴を付けるだけでは飽きたらず、友達知人全てに鈴を付ける事が出来る。
 
しかし、それは危険なツールなのだ。
精神の一部を常に携帯に占有された人間は圧倒的な欲求不満を抱えるようになる。
そして、それが何故なのか完全に目隠しされて自分自身が分からなくなる。
 
情報中毒は過剰な情報にさらされた人間が精神に偏向を来す現象だ。
ネット中毒が話題になる事もある。
それはそれで多くの中毒患者が存在する。
それ以上に携帯の破壊力は桁外れだ。
 
ネットからは逃げる事が出来る。
スイッチを切っておけば隔離される。
 
しかし、携帯からは逃げられない。
酷いコミュニティーになると夜間に電源を切っていただけで非難される。
ネットがアルコールだとすれば携帯はタバコにあたる。
一日中浸かり続けて確実に中毒になる。
着信や送信の多少によらず五十歩百歩で中毒患者なのだ。
 
私は携帯を持たない。
中毒に罹りたくないからだ。
今後も持つつもりは無い。
例え親の死に目に会えなくても持たない。
しかし、それを非難するのが当然だと思っている人が多い。
彼らは自分が中毒患者だと思いたくないのだろう。
 
携帯を持つ者は、多く、態度に落ち着きが無く、表面を取り繕う言動には不安定さがあるし、発想が貧困で、他人を非難する事が好きで、自分は許されると思っている。
情報中毒の特徴を全て備えているのだ。
 
情報産業は花形産業ではあるが、売り物は情報だという事は情報中毒の最大の担い手だ。
巨大資本が君臨する花形産業は現代の麻薬産業なのだ。
儲かるはずだわな。